ブックウォームの会(ロゴ)

ブックウォームの会は、毎月1回本好きの仲間が集まりブックトーク(本の話)をする会です。

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雑記帳

このページの目次

このページには以下の内容があります。

私たち「ブックウォームの会」が大切にしたいこと

  • 時間は公平に使いましょう
  • 批判やアドバイスはしない
  • ここだけの話はここだけで(持ち出さない)

会ができた時、そして現在

 

女性は、ある時期自分が読みたい本を読めない事がある。

例えば、子育ての時期は読み聞かせや、子どもに読んでもらいたい本を探したり、家事と仕事で手一杯の時、介護をしなければならなくなった時などだ。

そんな話を、りえこ・ゆうこりん・たみで話しあった事から、「今本を読めていない人も参加できるブックトークをしよう」という話から始まった。

最初は募集企画のワークショップとして始まり、途中から気軽な集まりの「ブックウォームの会」へ形を変えた。

3人が最初に考えた時からは5年以上の年月が経とうとしている。5年間の間に、3人はそれぞれ、子育てや親の介護・見送りや、仕事では転職や引っ越し、日常の家事の他、自分や家族の病気など様々な節目も超えてここまできた。

共通の趣味がある事からワークショップを考えて実施し、このメンバーに出会えてよかったと思う事も沢山あった。

そして、困った事や悩みなども共有しながら、今日まで仲間という感覚で、なんとなくつながっているように思える。そして今でも、自分の都合があえば、月に一度のブックウォームの会で、沢山の本との出会いや、本の話をする事を楽しんでいる。

2019年10月の話題から(たみ)

ブックウォームの会で話題になった事、会話の様子をレポートします。会の雰囲気が伝わるでしょうか?

~電子書籍と本(紙)について~

メンバーの一人がある作家さんの講演で、紙の本が売れなくなったという話から、話題は広がっていった。

「紙の本」が売れなくなったきっかけの本って話が出たんだけど、何だと思う?

(メンバーは皆、首を傾げ、わからない様子)

断捨離の本!(こんまりさんの「人生がときめく片づけの魔法」だと思う)。

あ~あ(なる程という感じの空気感に、ほとんどのメンバーがこの本読んでるなと確信する、誰もタイトルを確認しないが)。

本は買う、じゃなく図書館で借りる・・・確かに全部買っていたら置く場所なくなるね。

(うんうんと頷きあうメンバー)みんな図書館使ってるしね。

買っていたらきりがないし、置き場所もないよね。そうは言っても、手元に置いておきたい本は、買うよね?

それがすごい量になる(そうそう・・・笑)。

電子書籍は起き場所も取らないし、倍率が変えられて大きい字で見られる所はいいよね。

でも、紙の本はパラパラっとめくって、もどれるところがいいよね。

後は、本が好きな人と貸し借り。

最終的には廃棄するものも出てきて、もったいないよね。

人気の本は図書館で予約しても何百人も待つ事になるけれど、どうしている?

読みたい本は沢山あるから待つ派!・・・忘れた頃に来る。1年以上待つこともある。

そういう本は、少したつと、古書店で結構出るから、その頃そういう所で探す。

読みたい本が沢山あるけれど、読み切れない人(私もだ)は、「積読(つんどく)」在庫もたくさんで、それを読まないと・・・と思いながらも、次々と出てくる本や書評から、気になる本を、また購入してしまう。

この回は、「本」の”あるある”話で盛り上がった。

本の感想

「忘れられた巨人」カズオイシグロ(たみ)

 

霧により記憶があいまいになり、次第に大切だったはずの事も忘れて行く、そんな老夫婦が、ある時息子の家へ行く決断をした。

長い道のりで、竜を退治に来た英雄にあったり、不思議な生き物にも会う。時に記憶を取り戻しそうになったり、なぜ記憶が薄れて行くのかを知る事になったり・・・それは決して楽な道のりではなかった。(ネタばれにならないよう、この先はやめておきましょう)。

ファンタジーのような、不思議な世界観で、これまでのカズオイシグロの作品とは少し違った印象を持った。

しかし、ストーリーの背景で、老いて行くこと、死ぬことについて作者から、様々な問題提起がされているように感じられた。

老いる事で、「忘れてしまう事」は幸せな事なのか?不幸な事なのか?

「忘れてしまう事」で、穏やかな境地が見えてくるのかも知れないと思った。

「老い」「しだいに忘れてしまう」ことから、私はいつしか「認知症」を思い浮かべていて、時々頭の片隅で意識しながら読み進める事になった。

認知症になると、様々な事を忘れてしまう面があるが、死ぬ事自体を恐れる気持ちも忘れてしまうとも聞く。年老いて認知症になって、過去を色々忘れる事は、もしかしたら良い事も悪い事もあるのだろうか?

認知症といっても、常にすべて忘れてしまう訳ではない。時に思い出し、時に忘れてしまう。

仮に、相手が忘れている事で自分が幸せな場合、ずっと忘れていてくれる事を願い続けるのだろうか。

その意味を考えて苦しむ事にならないのだろうか。

それとも常に、思い出される事自体を恐れる気持ちになるのだろうか。

1つや2つの辛かったり悲しかった出来事を忘れてしまうことが、同時に何十倍、何万倍もの様々な出来事も一緒に忘れてしまう、という意味を考えた。

そこには、もしかしたら大切な思い出もあるかも知れない。

人生の最後には、沢山の思いでに囲まれていた方が幸せなのか、何も持たずに穏やかな気持ちでいた方が幸せなのかを、考えさせられた。(たみ)

カズオ・イシグロ作品の翻訳者「土屋正雄氏」について(たみ)

今一番読破したいのはカズオ・イシグロ作品です。

私がカズオ・イシグロを知ったのもブックウォームの会がきっかけでした。「私を離さないで」「日の名残り」それと今回感想を書いた「忘れられた巨人」を読み、どれも全く違う切り口で素晴らしい作品だったからです。

これらの作品を翻訳したのが「土屋正雄氏」です。実は彼の翻訳も素晴らしいんだという事を、後で知りました。

その本に相応しい美しい文章であること、主人公の語り口調も、その人の性格や、印象といった、読み手の空想に非常に大きく働きかけているようにも思います。

「土屋正雄氏」は早川書房の水野渓子氏によるインタビューの中で、自身の翻訳について次のように述べています。

英語を読んで理解して、『こういうことを言っているんだな』とわかったことを言葉にする。ですから、私が翻訳した本はどれも、私はこの作品をこう理解しましたという表明です。どの作品でも同じで、作品ごとにやり方を変えることはしません。言葉の置き換えではなく、ひたすら理解して、その理解を書いています。

また、彼の言うわかったことを言葉にするという事の意味する事や、その覚悟については、次のように述べています。

普通、作者は解釈に口をはさみませんが、仮に作者から『これはこう訳して』と注文されても、妥当なら受け入れますが、首をひねりたくなるようなら、作者の思惑より自分の理解を優先させます。

そうやって彼自身が、また翻訳を通して彼が感じた事を彼の言葉で伝えてくれていることが、或いはプロとしての姿勢が、妥協のない素晴らしい文章を生み出しているように思います。

私たちは、時に作品そのものに、時に翻訳した彼の感性に、あるいは自分の感性で、心が動かされたり、共感したり、疑問を持ったり、或いは単なる興味から、翻訳本を味わうのではないかと思います。

それは、原作を読むのとは、きっと違ったものであろうとは思います。

しかし、このこともまた作品に引き込まれる魅力の1つとなっているように思います。(たみ)

引用文献

「翻訳とは」~カズオ・イシグロ作品への理解~ 土屋政雄氏インタビュー
(株)早川書房 読書ログプラス--本の魅力、再発見。--(取材日:2017年11月16日、取材者:水野渓子、サイト閲覧日:2019年11月15日)